【ザンビアで武装集団が中国人襲撃、反撃により双方に死者】
駐ザンビア中華人民共和国大使館によると、アフリカ南部のザンビアの首都、ルサカの郊外で現地時間12日未明、中国人労働者が、銃などで武装した4人に襲撃された。
同事件で中国人労働者は1人が死亡、6人が負傷した。中国人労働者も反撃し、襲撃側は2人が死亡し、2人が逃走した。
現地に滞在している中国人軍医なども自国側負傷者の治療に当たった。
7人は河南省の採石会社が設立した現地法人、点線科技公司に所属していた。
襲撃側はAK47軍用小銃、拳銃、斧、刀などで武装していた。中国人側は棍棒や斧で抵抗した。
同事件で、中国人労働者が銃撃で飛び散ったペンキ缶の破片を腹部に大量に浴び、病院に運ばれて治療を受けていたが、同日午後9時半に死亡が先刻された。
中国側はその他に6人の負傷者が出た。うち4人が、けがの程度が比較的深刻という。
中国人側は棍棒や斧で反撃した。襲撃側は2人が死亡し、2人は逃走した。
事件発生の連絡を受けた大使館はただちに、負傷者が収容されている病院への軍医による医療チームの派遣、インターネットや電話を使った献血の呼びかけなどを行った。
負傷者が収容された病院は未明であることも関係して医療スタッフが極端に不足していたため、病院側の了解を得た上で、中国人軍医らが負傷者の治療にあたった。
中国の周欲暁駐ザンビア大使は、死亡した中国人労働者に哀悼の意を示すと共に「ザンビア側に密接に交渉し、犯人逮捕などを迅速に行うよう督促する」との考えを示した。
ザンビアはアフリカ南部になる内陸国で、世界有数の銅産地のひとつ。
ただし経済は発展しておらず、世界的な最貧国のひとつとされる。
ザンビアは1960年代、隣国の南ローデシア(現、ジンバブエ)を巡る国際情勢により銅鉱石輸出の経路が立たれ、苦境に追い込まれた。
中国は1970年から、同国とタンザニアを結ぶタンザン鉄道の建設を全面援助し、両国関係は極めて親密になった。
現在、ザンビアに進出した中国企業は500社を超えるとされる。
ただし、1990年代後半からは、中国側による労働組合設立の弾圧や、賃金未払いによる労働者デモに対する中国人管理職の発砲などで、ザンビアにおける対中感情は悪化しており、中国追放論も公然と主張されるようになった。
日本はザンビアに対する援助に力を入れている。外務省によると、2010年におけるザンビアに対する国別援助額は米国(2億2500万ドル)、英国(7900万ドル)、ノルウェー(5400万ドル)、日本(4600万ドル)、オランダ(3600万ドル)の順だった。 (編集担当:如月隼人)
ソース:サーチナ
記事元:【ザンビア】武装集団が中国人労働者襲撃、反撃により双方に死者[02/14]